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中垣信夫[なかがき のぶお]
1938年神奈川県生まれ.武蔵野美術大学卒業.ウルム造形大学留学.1964〜73年杉浦康平デザイン事務所勤務.1973年,中垣デザイン事務所設立.2008年4月,社会人のためのデザイン学校「ミームデザイン学校」を設立.
デザイン全般 デザインとは,物と精神の調和を求めて行くことであると思います.ですから弊社のデザインでは,《命・気持ち・形》と《何を,何のために,どのように》という言葉を大切にしています. 「人々がその時代に如何によく生きるか」を考えて,物を作らなければなりません.ですから,デザインされたものは個人の私有物ではありません.必ず社会に還元されるべきものです. 人々の伝統的な暮らしかたも大切なものです.そして,社会よりも一歩先駆的に考えることも必要なのです.経済最優先の社会に対抗するために,人間と自然との共生を目指すオルタナティヴな生活様式や思想に立脚したデザインを追求しているのです.
エディトリアル 文章を正しく人に伝えるためには,文法的にも正しくなければならない.明快な文章は書き手の思考を解り易く人に伝えることが出来る. だからエディトリアル・デザインに於いても,人に正しく情報を伝えるためには,正しい構造が必要なのである.明快な表現は,そのイメージを的確に見る人に伝える力を持つのである.今日のエディトリアル・デザインに於いては,しばしば,ただ目新しさと刺激だけを求めてレイアウトしたものも多く見受けられる.書籍が本来持っていた構造を無視したり,知覚的法則が守れなかったりして,ある一定のラインを越えると,読者が混乱し,理解不能となる.この目新しさと刺激を構造的にも正しく再構築し,破綻させずに正しく意味やイメージを伝えられるかのバランスが重要なのである.
音楽において,演奏家の役割は重要である.同じモーツァルトの曲でも,演奏家によってかなり違った印象を受ける.楽譜に書かれている音符をどのように解釈し,いかに忠実に演奏するかが,その演奏家の力量の問われるところなのである.
文章とエディトリアルデザイナーの関係は,ちょうどこの音楽と作曲家の関係にあると,私は思う.デザイナーにとっては,著者の文章をどう解釈し,いかに忠実に本という体裁にまとめあげるかが,力の見せ所になるのだ.言葉や文章は意味を伝える道具である.その文章に息を吹き込み,客体化させ,その本質を露呈させ,そして著者と読者の心を共振させること,それこそがエディトリアルデザイナーの仕事ではないだろうか.
以前には最も読みやすい1行の文字数は何字詰めか,という議論が多くあったが,最近ではどのような組み体裁でも肯定されたかのように,「何でもあり」の状態を呈している.私は,読み捨てにされる情報誌や娯楽本の類については今日どのような傾向があろうとも一向に構わない.しかしエディトリアルデザインの文化に関わる分野において,そのような書籍に接すると,怒りを覚えずにはいられない.どんな文章も強引に自分のタイポグラフィーの方法論に押し込めてしまったり,文体の呼吸感をないがしろにして必要以上に1行を長く,あるいは短くしたりするのは,読み手をその文体の呼吸感と一体化させるのを困難にする.読者にすれば,努力して読み進めても,息苦しくなって途中で放り 出してしまうことになる.(俳句や短歌において文字数が決められている根拠も,読み手の吐く息と言葉のリズムとの周到な計算の結果であることを思うべきである.)
よく使われる「行間を読む」という言い方にも,言葉の呼吸感が含まれている.だから読みやすい1行の字詰めを考えると同時に,行間も気持ちの良いアキを作る必要がある.それによって静止した本文が語り出すからである.
既にヨーロッパ中世において,現在でも見られる書物の形式は完成されていた.しかしそれらは一様に大きく,重厚なものであった.中を開けば,文字のほかに典雅な絵や飾りで彩られ,しかも全て手で書かれたもの.芸術的価値も非常に高いのだ.
これらの書物の目的は主に,宗教用と,金持ちのコレクション用であり,書物はすなわち神の威光や社会的権威の象徴であった.威光や権威の偉大さを表すべく,また持ち運ぶ必要もないため,できうる限り大きく重く作られた書物は,稀少価値の高い,大量にあってはならない尊い物であった.
翻って今日の書物はどうだろう.小さくて,軽くて,安くて,大量になくてはならないものである.書物が威光や権威迄をも失ったのは,文化の悲劇である.
12〜13世紀のヨーロッパでは,各地で学究的な気運が高まる.特にスコラ哲学の隆盛によって,各地にschola(school)が生まれ,その結果,書物は単に教会と金持ちだけのものではなく,学問をする人達にもなくてはならない存在となっていった.次第に大学周辺に写本業者も増え,分厚い一冊の本を数ページずつ綴じた分冊にして,学生達に貸し出すことを始めた.しかし書物が学生達の手に渡るようになると,教授の権威が失墜していったようである.
当時の貸本業者はちょうど今のレンタルビデオ屋に近いものだと思うが,今日の学生達が,学問の為にビデオを借りることもなく,書物を読むこともなくなったことだけは確かである.
印刷術発祥の地,イタリアの印刷の中心はヴェニスである.なぜ当時の文化の中心であったフィレンツェではなかったのか.それはメディチ家が非常に印刷技術を嫌ったからだ.その理由として,メディチ家が持っていた大量の写本の価値が下がることを心配したからだと言われている.今日これだけ大量に本が出廻れば自ずと,本の価値が下がるのも頷ける.
印刷術が発明されたのは1450年頃.その50年後にはヨーロッパの印刷工場は約1000軒に及んだといわれる.これだけの数の印刷所から印刷物が大量に出廻れば,誰でも字を読みたいとか知識を得たいという欲求が生まれてくるのは当然だ.書物は信仰の為から,真実を知る為に,または楽しみの為にと役割が変わってくる.また話し言葉から文字に変わることによって,知識や真実はより正確に伝わるようになった.
今日の伝達手段が書物から音声や映像へと変わりつつあることは,文字による伝え方から話し言葉による伝え方へと逆戻りを始めているのではないだろうか.また,知識の為の伝達手段が楽しみだけの為に使われすぎているように思われる.
学びとデザイン

世界各国の子どもたちが使う教科書を見ると,その国の素顔が浮き彫りになります.学びが自然に生まれていくような教科書からは,その国の豊かな文化と,その背景をうかがい知ることができるのです.そのような教科書を使って学び,使って育つ子どもたちは,きっと豊かな感性を身につけていくことでしょう.だからこそ「教科書をつくる(デザインする)」という作業は,子どもたちの未来を切り拓くという,とても大切で重要な仕事であると感じます.
『現代の国語』をはじめとした教科書をデザインするとき,私は常にその文章が呼吸し,生きているようなイメージを大切に作業するよう心がけています.
教科書は言語(ことば)を中心に構成されています.その言語を読み手に明確に伝えるためには,文体のリズムに合わせて一行の適切な長さや書体,文字の大きさなどを決めていく必要があります.一行が極端に長すぎたり短すぎたりしては,読み手が非常に息苦しく感じてしまいます.
俳句や短歌において,その文字数が決められているのは,読み手がひとつひとつのことばを,息を吸い・吐き・詠みあげる,その呼吸のリズムが周到に計算された結果であると考えています.こうして,読みやすい文字詰めを考えると同時に,行間にも気持ちのよいアキを作ることによって,静止した本文が語りだし,読み手の視線の自然な流れを促します.さらにイラストや写真などの図版もイメージを豊かに広げていく要素として大事なものですので,それらも吟味した上で配置していきます.
『現代の国語』においては,色使いも,三学年によって色分けするなど,本全体としての統一感をもたせています.そうして筆者の明晰な文章と明快なデザインが一つになって読み手に伝わると,互いの呼吸がぴったりと合うような深い共感を生み出します.新しい季節を迎え,日本の子どもたちがドキドキしながら新しい教科書を開き,毎日楽しく学べるよう,そして人との関係の中で日本語を身に付け,将来自ら豊かな文化を築いていけるよう祈っています.

『ことばの学び』vol.11 [三省堂/2005]掲載

タイポグラフィー

タイポグラフィは絵ではありません.言葉の意味を伝える技術です.そこで,この10年間にどのような本作りをしてきたか,私の仕事を例に挙げつつ振り返ってみました. 「字通」は白川静氏の生涯をかけた漢字研究の成果です.約750万字が収められたこの本こそ私たち漢字文化圏の英知を未来へ伝える計り知れない財産だと思っています.本文は凸版CTS組版を使用し,字形・字送などを複雑に変えた細かい指定がなされています.
「中世思想原典集成(本編20巻・別冊一巻)」は,1992年から2003年迄の11年もの歳月が費やされています.しかし,全巻完結してみると,この本も,これから数世紀に渡ってどこかに残され,必ず読み継がれるものだと確信しました.私の装丁は,中世写本の様式を取り入れた古くならないデザインを目指しました.「構造主義とは何か」は,平凡社ライブラリーの一冊です.既に五百冊以上が刊行されています.
文庫本形式の出版物は,各国の出版文化の質を端的に表します.装丁も世界のレベルと遜色のないものを目指しています.
「地図で知るヨーロッパ」はハンディな地図帳です.当初この地図は,平凡社世界大地図帳の為に作られた谷村彰彦のデザインです.その時のフィルムを流用し,手を加え新しい地図帳に私が作り変えたのが,この地図帳です.谷村氏も私も,杉浦流共通言語を使っていますから,どこが自分で,どこが谷村氏かの境がはっきりしません.この地図が良質であれば,誰のデザインだろうと関係ありません.
私も谷村氏も理想と目標が同じだからです.地図帳は書体,大きさ,色彩とのバランスなど,究極のタイポグラフィだと思います.
このように,私のタイポグラフィは一冊の本や,一枚のポスターから評価されるものは,何もありません.私の志すデザインは,現在から未来へ向かって文化として定着させることが願いなのですから.

『アイデア』 310号 [誠文堂新光社/2005]掲載

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